「学校なんて行きたくない!全然面白くない。お母さんの嘘つき!」
こう言われたのは、息子が小学校1年生の夏でした。
その頃から遅刻が頻繁になり、学校へ行っては教室の前で吐くようにもなりました。
上の子二人の子育てはそんなに困ることもありませんでしたが、息子については悩む日々が始まりました。
学校の先生と喧嘩のようなやり取りもありました。
私は、当時、学習塾を3教室経営していて、仕事はとてもハード。
息子と十分に関わる時間がほとんど作れませんでした。
でも…、
「この子はわざわざ勉強を教えるお母さんの私を選んで生まれてきたんだな。この子のお母さんは私だけ。今、この子と向き合わなければ一生後悔する」
息子の寝顔を見てそう決断。
私は当時経営していた全ての学習塾を手放し、息子だけの先生になりました。
「普通に教えても分からない子がいるんだ…」
このことは、我が子から嫌というほど教えられました。
目の前の息子はこちらが切なくなるくらい一生懸命取り組んでいます。
でも、
✓音読はどこを読んでいるかわからなくなる
✓漢字は何回繰り返してもすぐに忘れる
✓短期記憶が弱いために計算ができない 等々
学習指導のプロである私でさえ、お手上げな場面も多かったです。
息子だけではありませんでした。
15年続けた塾時代にも、
✓スモールステップでやさしい教材なのに自力で解けない子
✓字の大きさや形が整わない子
✓場面寡黙の子
✓いわゆるグレーゾーンのお子さんなど
実に様々な特性を持つお子さまと出会ってきました。
「スキルを磨きたい」
その後、息子や学習に困りのある子どもたちの為に、放課後デイ=『放課後等デイサービス』(障がいのある就学児童向けの学童のような施設)で働いたり、
発達障害学習支援サポーターの資格取得の為の学びをしたりしました。
更にSSTやコモンセンス、コグトレ(認知機能トレーニング)という専門知識・専門技能も習得して実践。
放課後デイや支援級の子どもたちと過ごしてきました。
不登校のお子さんも、回りに何人もいました。
彼ら、彼女らは力があるのにも関わらず、学校で勉強できていないがゆえに学び残しがありました。
それをカバーできる学習の場に困っているのを知りました。
そういうお子さんたちの支援もしたいと思いました。
「もう50代、これからの私ができること」
私は点数を取るための指導がしたいわけではありません
また、大勢の子どもたちが通う人気塾を作りたいわけでもありません。
私が目指すのは、どんな子でもその子なりに持っている、
「できるようになりたい」
「得意になりたい」
という思いを実現させてあげられる学びの場を作りたいです。
子どもたちの心に寄り添い、励まし、力をつけて自信をもってもらいたい。
ひとりひとりが、自分の花を咲かせれば良い、どんな花だって素敵なんですから。
「子育て中のお母さんにこそ、元気になってもらいたい」
シングルマザーで3人の子育てを経験したわたしができること、そのもうひとつは、
✓ 子育て中のお母さん自身に、子ども以上に元気になってもらうこと
✓ いつも笑顔で我が子にとって太陽でいてもらうこと、
✓ その為の応援団になることです。
今後、お母さんの為の趣味や学習の場も作っていきたいと思います。
もう50代後半の私もお母さんと一緒に、ひまわりのように大きく花咲かせていきます。
ここまでお読みいただき、
ありがとうございました。